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⊇月е日 イリーナ
レノ先輩、やっぱり疲れていたみたい。
私は、案内した私の隠れ家の隅で、規則的に上下する、丸まった毛布を見やる。
………良く寝てるわ。そうよね、ずっと独りで抱え込んでたんだもの。
せめて、決戦の時が来るまでは、少しでも身体を休めてほしい。
呼吸音はまるで聞こえないけど、たまに動く赤い髪に、少しだけ安堵する。
「…………うー………さむっ」
もう1つの毛布にくるまって、私はぶるっと身を震わせた。
真夜中の病院から抜け出してきたんだもの。当然、ろくな格好じゃない。
先輩がスーツの上着を貸してくれたけど、これだけじゃ、この季節はやっぱりきついみたい。
「駄目駄目、弱音を吐いちゃ。先輩だって他の人だって、ツォンさんだって……きっと、もっと辛いのよ」
自分に言い聞かせるように呟いた私の耳に、かさ、と小さな足音が聞こえた。
───誰!?瞬間的に私は身構える。
ここは私と、同じタークスの“あの人”しか知らないはず。
「それ以上入らないで。入ったら容赦しないわよ」
いつでも攻撃に移れるよう、用心深く入り口に近づいた私の目に映ったのは、まぎれもなく………
「あ………」
あの時、アバランチに誘拐された私を助けてくれた“あの人”だった。
大切なマテリアを奪われても、私の生命を優先してくれた。そして、私に見せてくれた。
───タークスの、誇りを。
「どうしてここに?もう来ないでって言ったはず………」
意地を張ってそんな風に口にする私に、“あの人”は何かをぽんと手渡した。
思わず受け取った私の手には───見慣れた私のタークススーツと、銃。
そして、誘拐されたあの時に失くしたはずの、格闘エンブレム。
「………なん………で………」
なんで?我ながら、笑っちゃうくらいバカな質問だ。
私が病院を抜け出した事くらい、神羅ではとっくに噂になってるはず。
“あの人”はそれを知って、そして、私がここにいる事にすぐに気付いて────
こうして、ひとりで、私が必要としているだろう物を持って、来てくれたのだ………。
きっと、皆の目を縫って、必死に。
だって、“あの人”は今、こんな所にいていいはずがないのに。
「あ………」
驚きで何も言えない私に、用はそれだけ、とばかりに背を向ける“あの人”。
大きくも小さくも見える背中。重い使命を背負った、“あの人”の背中。
その使命が、アンゲロに抗うものかそうでないのか、その方向性は、今の私には分からない。
私は黒いスーツを握り締め、去っていく“あの人”を追いかける。
「あ、ありがとうございます!」
張り上げた私の声に、“あの人”がほんの少し歩調を緩めた。
「私、あなたに憧れてタークスに入ったんです。あ、もちろん、あの、ツォンさんも、ですけど!
でも、一番はあの時、タークスのあり方を見せてくれたあなたの─────」
言いながら呼吸が乱れる。憧れの先輩。私の居場所、タークスの。
「だから……っ!私は……タークスのイリーナは、どんなときも!!
あなたの教えてくれた、タークスの意地と心意気、忘れません。………絶対!!」
聞こえていたのかいないのか。
“あの人”はほんの少し微笑んで、スラムの奥に消えていった。
自らに与えられた任務を、必ず遂行するために。
アンゲロの匂いの染み付いた病院服を脱ぎ、タークススーツに腕を通す。
久々に感じる、闇色の布の感触が肌に心地よい。
胸ポケットに入れた格闘クラスのエンブレムの熱を感じ、瞳を閉じて気を引き締める。
「………あいつも、なかなかやるじゃねぇの、と」
眠っていたと思ったレノ先輩が、ぼそりと口にした。ほんの少し、楽しげに。
私はちょっとびっくりしてから、唇を緩ませ、“あの人”が去っていった扉に目を向ける。
「レノ先輩」
「はいよ、と」
「戦います。私も一緒に」
「……そうこなくっちゃな、と」
視線の先が合い、互いにふっと細められる。
もう迷わない。私、必ず、ツォンさんを、あの誇り高いタークス主任に戻してみせるわ。
私はタークスのイリーナ!タークスの意地と心意気、見せてやるんだから!
・ ・ ・ 。
「………ところでレノ先輩、いつから気付いてたんですか?」
「ん?そうだな。あいつが来たあたりからって所かな、と」
「そうですか。それじゃあ歯を食いしばってください」
「は?」
「それじゃあ着換え中も起きてたのかよこのエロ野郎があああああ!!!」
○(#゚Д゚)≡○)゚Д)・∴'.
↑イリーナ ↑レノ
⊇月N日 短銃♀
戦いが始まってから何時間が経過しただろう。
私のクイックシルバーにはもう残弾はなく、手裏剣♀も手裏剣がクマエル像に突き刺さったままだ。
双方、矢突き刀折れた状態での硬着が続いていた。
「手裏剣♀」
私は息を切らしながら、何時間かぶりに言葉を紡ぐ。
「クマエル、海溝の底に沈めたって言ったけど、アレ嘘。」
手裏剣♀の傷だらけの顔が驚愕の表情を作る。
「本当は・・・ミッドガルの近くにある、沈んだゲルニカの中にポリカーボネイトで固めて・・・持ち出されないようにしてあるわ。」
「・・・本当?」
彼女は喜びでいっぱいの顔になる。クマエルの無事が嬉しかったのかとても無防備だ。
私はとっさに袖の下に隠したものを口に含み、吹く。
すると手裏剣♀は、力が抜けるように倒れた。
吹き矢。
かつてミッドガル中央病院でレノさんの暗殺まがいをする時に使ったものだ。
ただし今回は違う。
「大丈夫、神経マヒ薬だから何時間か動けなくなるだけだから。今から刀を呼んで運ばせるよ。」
携帯を開き、私はメールのショートカットボタンを押す。
カチカチとメールを打っている間、手裏剣♀は私に疑問でもあるように問い掛ける。
「どうして助けたの?」
「この任務はツォンさんおよびアンゲロ信奉者の身柄拘束だから、殺しは厳禁なの」
「そう・・・」
「短銃♀」
「何?」
「ありがと」
私はメールが送られたことを確認すると、先程の戦いで破損したらしい、長椅子に腰掛けた。
見上げてみた大聖堂の景色は、アンゲロ抜きでは素晴らしく神秘的なものだと悟った。
遠くでは戒厳令下のミッドガルの喧騒も小さく聞こえる。
「まさか・・・、嘘。」
手裏剣♀が驚愕に顔を歪める。
「ツォンは、まだミッドガルにいる。」
⊇月§日 刀♂
神羅ビル64階。僕は、医務室のベッドに横たわる手裏剣♀の傍らに座っていた。
その寝顔は人形のように動かないが、時折聞こえる呼吸音が、僕を安心させる。
つい先ほどの事だ。メールを受け取り、地下聖堂に訪れた僕に手裏剣♀を託し、
短銃♀は真面目な表情を更に堅くして、言った。
「ツォンさんがミッドガルにいるそうです。私はこれから、散弾銃♀さんとロッドと共に
ツォンさんの居場所の特定を急ぎ、ルーファウス社長に報告しに行きます」
戦いの余韻も抜け切らぬ、険しい顔。そう告げながら、既に行動を開始している。
僕とすれ違うようにエレベーターに乗り込みながら、彼女は一瞬、心配そうな顔を見せた。
「………手裏剣♀さんを、おねがいします」
僕は、短銃♀の目をまっすぐ見て、頷く。リィンと音がして、エレベーターが閉まった。
ミッドガルを覆う暗雲が濃くなっている。これからこの星がどうなるのか、誰にも分からない。
でも、僕は手裏剣♀を放っては行けないんだ。頼む、短銃♀。君の視線の先に、どうか勝利と栄光を。
「ん………、う………刀、♂………?」
ふと物思いに沈んでいた思考が、弱々しい声で現実に引き戻される。
「手裏剣♀、気付いたのかい?ここは安全だから、少し身体を休めるといいよ」
起き上がろうとする彼女を押し留め、僕は微笑んだ。
「わたし………負けたのね………」
呟く彼女の前髪を、僕は無言で直してやる。
「ふふっ。私の方がキャリアが長いからって、ちょっと油断しちゃったかな」
「短銃♀は強くなったよ。僕だって、勝てるかどうかわからない」
顔を見合わせて少し笑い、また、お互いに口を閉じる。
しばらく無言の時間が流れた後、手裏剣♀はゆっくりと唇を開いた。
「私、任務………失敗しちゃった………」
「手裏剣♀、無理してもうしゃべらなくていいんだ」
「ううん、平気。ねえ、刀♂?私、任務失敗しちゃったけど………」
「………なに?」
数秒の間があってから、手裏剣♀は再びぽつりと口にした。
「でもね。最後まで、がんばったの」
「………」
「ツォンは、ほめてくれるかな?」
僕は一瞬だけ唖然としてから、ふっと口元を緩ませ、彼女の頭を撫でる。
「………ほめてくれるさ。僕からも伝えておいてあげるよ」
戦いの疲れも忘れたように、彼女はにっこりと微笑んだ。それを見て、僕は続ける。
「ツォンだけじゃない。君の、ほら………アンゲロリーナ様?だって、さ」
手裏剣♀が何を信仰していたって、彼女は彼女だ。そう思って口にした僕に、
しかし手裏剣♀は予想外にも、ふるふると弱々しく首を振った。
「ううん。もう、アンゲロリーナ様の赦しを得る必要はないの」
「………?」
「刀♂がクマエルの力を振り切ったように、私も、………答えを出したから」
そう言って微笑む彼女の瞳から、すぅっとアンゲロの気配が薄れ、それは音も無く夜空へと消えていく。
「手裏剣♀………」
「ふふ、短銃♀のおかげかしら。………先輩の名、返上しなくっちゃ、かな」
冗談めかして言いながら、彼女がシーツを目の上まで引っ張り上げる。
小さな嗚咽が聞こえてきて、僕は、ほんの少しシーツから出た彼女の頭をもう一度撫でた。
「君の戦いは終わったんだ。………あとは、後輩たちに任せよう」
だからもう大丈夫、と呟く僕に、手裏剣♀が小さく頷いた。
「君は、たったひとりで本当によく頑張ったよ。もう、休んだっていいんだ」
「………ありがと、刀♂………私、少し………眠るね………」
「うん。安心して、僕はここにいるから」
そう言うと手裏剣♀は安心したのか、小さく頷いて、黙った。
やがて再び寝息が聞こえてきて、僕は久々にほっと大きく息をつく。
ずっと心の支えにしてきたものを手放すのは、どれだけ辛いことだろう。
ここまで来て、それをやり遂げた少女の睫毛の縁に残る透明な水滴を目にして、
僕は、彼女が僕らの中の誰よりも幼かったということを───改めて、知った。
神羅ビルの高層階から見るミッドガルは、普段通りに魔晄の明かりに照らされている。
今頃、この魔晄都市のどこかでそれぞれの戦いを繰り広げている多くの仲間たち。
無事でいるだろうか?くじけてはいないだろうか?幾つもの顔が思い浮かんで、消える。
腐ったピザは今日も、その機能をただひたすらに果たしている。
ここに住む数多の人々は、日々、何を信じて生きているのだろう。
信じるものが間違いだと知った時、彼らはいったいどうするのだろう。
彼らそれぞれの未来に光あれと思いながら、僕は、眠る仲間に目を落とす。
手裏剣♀。
君の戦いは終わったんだ。
目覚めた時、彼女が僕の姿を探さなくてもいいように、
僕は再び、彼女の傍らに腰を降ろした───。
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